
巻頭エッセイ<3>
災害と演劇
別役実
テオ・アソゲロフロスというのは、ギリシャの若い映画監督であるが、その最新作『ユリシーズの瞳』という半ドキュメンタリー作品に、戦火のサラエボが写されている。これは、監督自身の分身と思われる或る映画作家が、古いギリシャを写した幻のフィルムを求めて、ギリシャ、アルバニア、マケドニア、ブルガリア、ルーマニアと、ほぼバルカン半島全土を横断し、遂にコーゴスラヴィアの、というよりは今日のボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都、サラエボでそれを見つけ出す話である。
ドキュメンタリー・タッチで、バルカン半島の各国の現状が写し出されているのであるが、同時に、主人公の子供時代の記憶にある現実も、二重写しにされており、つまりその重層化されたイメージが、戦火のサラエボに雪崩れこむ、というわけである。そして、そのサラエボでは、まだ各所で銃声が消えない中で、民族混成の楽団と合唱団が演奏会を開き、野外舞台では、若者たちが『ロメオとジュリエット』を上演している、「さよなら、さよなら、別れはこんなに甘い悲しみだから、朝までさよならを言いつづけたい」「あなたの目に眠りを、胸には安らぎを。私が眠りと安らぎとなって、その胸に憩いたいが、神父の庵に行って報告をし、助言を乞わなければ。」第二幕第二場、〈キャピュレット家の庭園〉の最後の場面である。
これが、大変感動的であった。場面そのものは、この映画のために作られたものだとしても、それらしいことは現実にあったに違いない。現に私は、ベケットの『ゴドーを待ちながら』が、同様の時期にここで上演され、大変感動的であったという話を聞いている。しかし、何よりも私が打たれたのは、そうした現実の中で音楽会が開かれ、演劇が上演されていた、という事実についてではない。それを取りかこむサラエボの人々の、極めて自然な反応なのである。もちろん、無視する人々もいる。むしろ、その方が多かったかもしれない。当然、劇場とも言えない野外に椅子を並べて、観客となっているものもいるのだが、これだってことさら熱心にそうしているわけではない。
演奏し、上演する方も、特に「やってます」という感じではない。どちらかというと、「これが仕事だから、しょうがなくてやっているんだよ」というようにすら、見えるのである。しかし、言うまでもなく、投げやりなのでは決してない。誠実に、真筆に、義務に従ってます、という感じなのだ。たとえて言えば、クリスチャンが日曜毎に教会に行き、決まりきった神父の説教を開き、賛美歌を歌うようなもの、と言えばいいだろうか。如何にも自然体で、ことさらな思い入れもなく、それでいて信仰心が、全体からにじみ出ている感じがした。
この、周囲のたたずまいが、無視して通りすぎる人々も含めて、実によかった。音楽や演劇などいわゆる芸術活動を、特別なものとせず、しかも日々の糧のように必要としている感じが、よく理解出来たからにほかならない。もちろん私は、阪神大震災のことを考え、その時のピッコロ劇団の活動のことを、比較して考えていたのだが、残念ながら「まだまだ日本は、文化的に成熟していないのだなあ」と、考えざるを得なかった。あの状況の中では、何か特別な名目があり、何か特別な思い入れがなくては、とても芸術活動など、やってのけられそうもない感じがしたからである。
しかも、実際にサラエボで『ロメオとジュリエット』が上演されたのかどうかは定かでないものの、前述したあの科白が映画にすくいとられているのであるから(何しろ、悲劇に終わる恋の、つかの間の邂逅の場面である)当地では、それによって観客を鼓舞激励しようとか、希望を与えようなどということは、テンから考えてないに違いない。「ゴドーを待ちながら」を上演しようという考え方も、同様である。つまり、演劇によって何かをしようとしているのではなく、ただ演劇の演劇であることが必要とされているのである。この点も、我国の文化との差を見せつけられたような気がした。
もしかしたら芸術活動というのは、生活の余裕から生まれるものではなく、むしろその絶望から生まれるものであり、絶望が必要とするものではないかと、私はこの作品を見ながら考えた。この同じような情景を、一度だけ私は体験したことがある。高校時代、近所の理髪店の兄弟二人が山で遭難して、焼場で骨を拾いながら、その若い母親がかすかに歌を歌っていたのである。何の歌かは、よくわからなかった。しかし、歌というものが、そのように必要になることもあるのだなと、私はその時考えたのである。もちろん、このような場合の演劇が、どのようなものになるべきか、今はまだよくわからないが……。
〈劇作家〉
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